2011年の終わりを迎えて
2011年12月31日 土曜日

まもなく2011年が暮れゆこうとしています。

今年は3月11日の東日本大震災で全てが変わりました。

ちょうどそのとき、私は予算委員会中で質疑の最中。

長い揺れに一時中断、そして何やら穏やかではない雰囲気に委員会も中断されました。

その後、被災地の惨状が毎日のように報じられました。

もどかしい想いを抱えながら我々は、選挙という現実と向き合わなければなりませんでした。


選挙が終わった5月、そうした想いに呼応する一つのきっかけがあり

僕は炊き出しボランティアにお手伝い同行し福島県相馬市を訪ねてきました。

また、8月には前市議会議員の安住太伸さんに代表を務めて頂いた

旭川サポートネットワークを仲間と組織し、市内地域団体と周辺町の協力を頂きながら

100名を超える福島県南相馬市の子どもたちとその家族を旭川に招きました。

こうした活動の続きを来年もまた、何らかの形で続けていきたいと思っています。


そして、その間には2度目の選挙があり、再び市議会議員としての役割を頂きました。

悩みに悩んだ末に1期目4年間を共にした会派(無党派ネットワーク)を発展的解消し

会派に属さない無所属議員としての議員活動。

これまでとは違うメリット・デメリットを感じながら議員活動を送っています。

改選後の議長選挙においては様々な人間関係のなかで苦しみました。

経済誌等にショッキングな見出しが掲載され若干心が折れそうにもなりました。


9月の議会では市内中心部の3中学校統合問題の議決を迫られ苦悩しました。

地域住民や保護者の悲痛な訴えに直面しながらも冷静な判断を心がけました。

悩んだ末に反対をしましたが初めて行政の汚さを垣間見ることとなり怒りました。

その他、市職員の給与条例の改定にたった一人で反対するという初体験も。

誰一人の賛同も得られず悔しくて虚しい想いを経験しました。


こうして振り返ると・・何か悩むことが特別に多かった一年間だったように思います。

しかし、旭川の政治における36分の1の議決責任とその判断を

苦悩を抱えながらも僕なりに自分自身の信念と良心に基づき下してこれたと思います。



旭川にとっては、歴史的な新駅舎の開業もありました。

僕の最重要テーマである中心市街地の活性化基本計画が始まりました。

未来がもうすぐそこに。



この一年、関わって頂いた全ての皆様に感謝。

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